災害ボランティアコーディネーターの活動を中心に、日々の情景を切り取ってお知らせします。
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Category【 ボランティア 】
ブログパーツを通じて大きな問題の解決に参加してみませんか?
今回はボランティアとしての参加のお願いです。 すべての人が必要な保健医療を受けられる世界を作りだす。 こんな「変革:Change」に、今すぐ参加しませんか? 参加の方法は簡単。 オックスファム・ジャパンのMe Too署名フォームから、名前を記入していただくだけです。 ![]() ![]() 届いたリリースによれば、現在、1日に3万人以上の人々が予防と治療が可能な原因で命を落としているそうです。医療が不足している…らしい、という雰囲気は判っていたつもりですが、数字まで提示されて理解したのは、今回が初めてでした。 月並みな感想ですが「ショック」です。 私たちは、当たり前のようにして、必要な時に医師にかかることができ、薬を買うこともできます。 しかし、世界の多くの人々にとって、これは「叶わぬ夢」であることが、まるで「当たり前」のようになってしまっています。 だから、その「叶わぬ夢」を「叶う夢」にできるようにと、いま『「me too!」キャンペーン」』が展開されています。 保健医療サービスの欠如は、人々に大きな代償を強いています。想像しがたい数の人々が、予防・治療可能な病気によって命を落としています。 ●毎分1人の女性が、妊娠や出産に関する問題で亡くなっています。 ●4,000人の子どもが、下痢で命を落としています。 ●1時間に300人もの人々が、エイズによって患った病気で亡くなっています。 キャンペーンの内容は、今年7月に北海道洞爺湖で開催されるG8サミット(主要国首脳会議)に向けて、日本全国からの声を集める呼びかけをしているとのことです。 すべての人が必要な保健医療サービスを受けられるよう、署名、または、このブログパーツをあなたのブログに貼ることでボランティアにご協力いただけないでしょうか。 ささやかですが、私のブログにもパーツを貼りました。ご参考としてください。 https://www.oxfam.jp/whatyoucan/campaign/blogparts.html あなたのブログに貼られたブログパーツを通じて、この切なる願いを大きくすることができます。 「すべての人に、生きるチャンスを」 ![]() ![]() 皆さんのご協力を、ぜひお願いします。 |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
バーニーの住む長野県飯田市は、毎年3月頃、社会福祉協議会、日赤、地元の青年会議所、NPO法人やボランティアサークルなどが集まって、「災害ボランティア交流研究集会」と称する講習会を開催しています。
この集会では、長野県の社会福祉協議会から担当の方に来て頂いて、災害ボランティアセンターの立ち上げ訓練を行ったり、実際に活動されている専門家を招いての公演を聴いたりといった内容が中心で、ほぼ1日かけて研修を行います。 参加をはじめてはや4年になりますが、毎年微妙に内容に変化があるので、なかなかタメになります。 ちなみに今年は、何かの都合なのか、午後の半日だけ、ボランティアセンター立ち上げ訓練と福祉避難所の設置訓練の2本立てでした。 ホントは、福祉避難所の設置訓練の方に参加したかったんですが、県社協の担当者から、「災害ボランティアセンター立ち上げ訓練のほうに出てくほしいんだけど」との依頼。 その担当氏とは、十日町市で災害ボランティアを経験して以来の仲。素直に「うん、わかった。」と言ってしまいました。 ちなみに、この友人氏と一緒に訓練を行う場合、必ず役割まで指定されてしまいます。それも決まって、最も難しいと思われる部門に配属されるのです(泣)。 これは訓練の中で、友人氏だけでは、すべての内容に関する詳細な説明を行う事が難しいため、バーニーがその手伝いをする、という事なのです。 今回もご多分に漏れず、被災者からの電話受付という、最も難しく、かつ、他から最もクレームを喰らう係を仰せつかってしまいました。 これって、一見すると簡単そうに見えるんですが、被災者からのボランティア派遣などの要請について、その内容や場所、建物等の状況など事細かに聞き取って、それを正確に次の係へ伝達しなければならず、これが案外難しいですよ。 しかも、同じ係には、未経験の日赤のおばさんばかり・・・。毎回「どうしよう」と考え込むのでした。 で、今回は、配布されたマニュアルの読みあわせと補足説明を始めに行い、その後に注意点を説明し、必要な書類をコピーしてもらって、という段取りで進めてみました。 ここまでは順調です。 さて、いよいよ訓練開始。実際に電話がかかってきます。といっても、社協の方がかけて来るので、あくまでシミュレーションの世界です。 始めはバーニーが電話を受けました。実はバーニー、昔接客業の経験がありまして、それなりの言葉遣いは心得ているつもり(自画自賛だー)。それを参考にしてもらおうと言う作戦でした。 ところが、今回は敵もさるもの。今までの訓練なら「家の中を片付けてほしい」とか、「ゴミ出しを手伝って」とか、割とオーソドックスで、かつ、初めての人でも「受けていいんだな」とわかる内容の電話がかかってくるのですが、今回は何故か、「人工透析に行きたいんだけど、車を出してくれないか」とか、「ペットの犬を預かってほしい」とか、判断に困る内容ばかり。 例えば、車を出す場合は、ルートが確保されていることが条件になりますし、ペットを預かる事については、センターの衛生面や立地条件などにより、その可否が判断されます。 そのために、センターのスタッフには予め、このような判断材料となる情報が知らされ、同じ情報が共有できていると言う前提が必要だと思うのですが、何せ訓練ですから、そんな時間的余裕もありません。 で、仕方がないので「あそこにいる総務って所へ行って聴いてみてください」と、電話応対をするおばさんを片っ端から行かせたのです。 これがいけなかった。後で総務スタッフから「電話応対係は、その度に総務まで聞きに来てばかり。自分たちで判断できないのか。」と苦言を頂くハメになりました。 ここからはバーニーの感想。 確かに、総務側としては、その度に聞きに来る電話係なんていらない、と思うでしょう。実際、バーニーも「少しやりすぎたかな?」と反省した位です。 でも、こちらは、実際には被災者と直に接する部門な訳でして、やはり、何とかしてあげてあげたいと思い、また、一刻も早く対応してあげたい、と思うわけです。 ただ、センターとして受けても良いか否かの判断には、それなりの情報が必要な訳でして、特にサラリーマンとして事務方をやっているバーニーにとっては、必要な情報のやり取り・確認・周知などは日常茶飯事なんで、特にそう感じたのかもしれません。 また、十日町市でも、やはり、必要な情報が思うように集まらず、インターネットやら人に聞くやらをしながら必要な情報を集めていったという実態があり、それを思い出させる訓練でした。 次回からは、災害ボランティアセンターの中身をご紹介していきましょう。 どんな係があって、どんな役割を担当して、どんな事をするのか、などなど。 ご期待あれ。 |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
さて、災害ボランティアになるには、なんてお題を掲げてしまいましたが、ぶっちゃけ、被災地に設置された災害ボランティアセンターに行って「災害ボランティアしたいです。」と言えば、誰でも災害ボランティアになれちゃうのです。
かくいうバーニーだって、最初はそうでした(今でもそうですが・・・)。 これを読んで、「よし、行ってやろう」と思ったあなた、ちょっとお待ちなさい。 少なくとも被災地へ行くわけですから、事前調査なるものはしっかりとやってくださいね。 まずは、災害ボランティアセンターの場所。今は、たいていの災害ボランティアセンターでブログやHPを立ち上げますので、それを見て確認。 次に、被災地までのルート。通行止めはないか、公共交通機関は動いているか、など。 それから、寝る場所の確保だって重要ですよ。 心地よい季節だったら車内泊もできるけど、暑いとき、寒いときは車じゃあ大変。 安いビジネスホテルを予約しておくのも手ですよ。 これくらいの情報は前もって入手すべし。 でもって、後は行動あるのみ。 食べ物、飲み物を買ってきて、着るものを用意して、荷造りして、さぁ、被災地へしゅっぱーつ。 ボランティアですから、食べ物・飲み物は自分で用意すべし。アウトドア嗜好の人なら、食材と調理器具を持っていくって方法もあるし、カップラーメンを箱で持っていくのもありです。 で、現地に着くと、センターの窓口で『登録』ってのをします。これは、必ず毎日するんだけど、万が一ボランティアの身に何かあったとき、迅速に対応ができるように、今日はだれが、何人来てるか、センターのほうで管理するためなんです。 めんどくさいなんて言わないで。名簿に住所や名前などを書き込むだけで、登録完了! これであなたも立派な災害ボランティアです。 でも、これだけは忘れないで。 災害ボランティアは、被災者の支援をするために行くって事。 最近は、被災地泥棒や、被災者に迷惑をかけるような行為をするボランティアの話が絶えません。 どうか、そんなことのないように心してください。 それと、被災地の方々は、多かれ少なかれ心に傷を負っています。 無邪気にはしゃぎまわらないように、くれぐれも落ち着いた対応を、ね。 実際に行ってみると、決して大人ばかり来ている訳ではないんですよ。 地元の学生さんや親子連れ、お年よりなどなど、年齢、性別関係なくボランティアをやっています。 みんなに共通しているのは「被災地をなんとかしたい」という思い。 これさえあれば、あなたも明日から災害ボランティア! |
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Category【 オムニバス 】
今日は朝から一日お出かけ。
寒かったので、パーカーを一番上に着て出掛けました。 このパーカー、裾の部分が絞れるように紐があるタイプ。 この紐が曲者でした。 目的地に着いて歩いていると、ガードレールや木の枝に次々と紐が絡みつき、その度に紐をほどく羽目に。 すっかりうんざりしながら、それでも寒くて脱ぐわけにもいかず、紐がなるべく長く伸びないようにと気を使っていました。 さて、すっかり用事も済ませ、帰宅の途上、喉が渇いたと自動販売機のある場所で停車し、ドアを開け、降りかけたところで体が引っ張られました。 よく見ると、紐がシートレールの間に挟まっているではありませんか。 慌てて紐を外し、ようやく飲み物を購入。 で、今度は車に乗ってドアを閉めたら、紐がドアに挟まっているのを発見。 ドアをもう1回開け、紐の伸びを直してから、ようやくドアを閉めました。 このように、着物の紐が引っ掛かり事故を起こす事は、たびたび報道されるとおりですが、まさか自分があわやその羽目になるところだったとは・・・。 身の回りにある思いがけない危険を再認識した1日でした。 比較的大規模な危険は誰しも予想できるものですが、このような危険は、身をもって経験しないとなかなかわからないものですね。 これが大型の機械などに巻き込まれていたら、命を落としていたかも知れません。 そう思うと、案外バカにできないんだなぁ、と思います。 明日も1日お出かけですが、このパーカーは置いて行こうと決めたバーニーでした。 おしまい |
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Category【 オムニバス 】
明日は、兵庫県尼崎市のJR福知山線で脱線事故が起こってから3年を迎えます。
車両の1両目、2両目は完全にマンション内に入り込み大破、3両目は建物の外壁に衝突し「く」の字に折れ曲がってた映像がまだ鮮明に思い出され、皆さんもご記憶に新しいことと思います。 この事故で、運転士を含む107名の尊い命が奪われ、負傷者も562名にのぼるなど、未曾有の大事故でありました。 それから3年、今も様々な所で、様々な事故が絶えません。 今までは、災害という場合、天災を指していましたが、実は、災害には「人災」も含まれるんですよね。 で、あの脱線事故の際、付近の住民や企業の人々の多くが「一刻も早くけが人を助けたい」思いから、自主的に災害ボランティア活動を行った事は有名な話です。 人は1人では生きてゆけません。だからこそ、お互いに助け合い、励ましあって生きてゆこうとする訳です。ボランティアと言うのは、その延長線上にあるものであって、決して特別な存在ではない、バーニーにはそう思えてならないのです。 もし、自分が事故に遭遇したら、又は、目の前で事故が起こったら、何ができるか、何をするべきか、それを考え実行する、これこそボランティアの真髄であるとバーニーは思うのです。 困っている人、死にそうな人を一刻も早く助けたい!その必死な思いこそが、ボランティアの原動力であり、誰にでも備わっているものであると、バーニーは信じています。 事故後にはお定まりの責任問題と原因追求が話題の中心になり、そのうちにマスコミも取り上げなくなります。そして当事者や関係者以外の人々はいつしか忘れてゆきます。でも、その影で、数多くの被害者が苦しみ、悲しみ、今も闘い続けている事は心得ておくべきではないでしょうか。 事故を招いたJRには、より安全な運行を目指し、日々改善を行ってほしいと思いますが、その一方で、完全な人間がいないように、完璧な安全などと言うものも存在しないという事実も知る必要があると思います。 物事が便利になるにつれ、人はいつしか危険の存在も忘れてしまった・・・そう思うときがあります。 しかし、身の回りには数多くの危険があり、事故の可能性があるのです。 災害同様、事故(人災)もないに越したことはありませんが、事故に遭う確率は、天災で命を落とすよりずっと高いのです。 だからこそ、自分が巻き込まれたら、あるいは自分の目の前で事故が起きたら、一体どうするか、どうすればよいか、まずは考えるきっかけにしていただければ幸いです。 最後に、福知山線脱線事故に遭われ、命を奪われた方々とその遺族の皆様に、心よりお悔やみを申し上げると共に、事故に遭遇された多数の皆様に、1日も早く、笑顔が戻ることを、心より願っております。 |
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Category【 オムニバス 】
昨日、会員になっている、飯田災害ボランティアコーディネーター連絡協議会から、年次総会の案内がきました。
この会は、毎月定期的に例会を行っているのですが、サラリーマンのバーニーは、総会以外はなかなか出席できずにいます。ちょいワル会員かな?それとも、幽霊会員か(死語か?) で、今年の案内には、ボランティア活動保険の加入希望を書く欄がありました。 実は、昨年まではなくて、今回初めて追加されました。 ボランティア経験者は知っていると思いますが、ボランティア活動保険というものがあって、ボランティアをする際には、たいてい加入します。 この、ボランティア活動保険とは、ボランティア活動中の様々な事故による活動者の障害や賠償責任などについて補償する保険で、加入できる人は、社会福祉協議会及びその構成員・会員ならびに社会福祉協議会が運営するボランティア・市民活動センターなどに登録されているボランティア・ボランティアグループ・団体 となっています。 つまり、災害ボランティアのように、社会福祉協議会が主催するボランティア活動に参加するような時は、加入ができると言う訳です。 で、バーニーはというと、社会福祉協議会に登録している会の会員なので、やっぱり加入できることになります。 実は、昨年柏崎市のボランティアへ行った際に加入したのですが、確か1年単位の保険のはずなので、今年は改めて加入しないとならないのです。 といっても、掛金は決して多額kではなく、一般的な基本タイプで260円〜590円、天災タイプで460円〜1,130円(補償の内容によって掛金が異なります)くらいです。 研修会に参加すると、毎回決まって「ボランティア活動保険って何ですか?」という質問が出ます。 これから研修等に参加してみようと思う方は、ぜひご一読を。 ちなみに、上記の説明は、 ボランティア活動保険 のHPに詳細が載っています。興味のある方はぜひご覧ください。 研修会の模様や、総会の内容などは、後日改めて。 |
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Category【 新潟県中越沖地震 】
新潟県中越沖地震におけるボランティアの模様など記録した動画がありましたのでクリップします。なお、当動画はWEBサイト上にアップされたものをお借りしておりますことをお断りしておきます。資料としてご覧下さい。
「柏崎市災害ボランティアセンター スタッフ挨拶」 投稿者: JINROOOさん/2007年07月29日 「新潟県中越沖地震 災害ボランティア」 投稿者: JINROOOさん/2007年07月17日 |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
あなたの身に、突然大災害が降りかかってきたと想像してみてください。
被災直後はマスコミも連日被害状況を報道し、各地から多くの災害ボランティアがやってきて、いろんな手助けをしてくれます。 ところが、日が経つにつれ、だんだんと災害ボランティアの数が減り、遂にはボランティアセンターも閉鎖に・・・。 まだ、完全復興には程遠い状態で、残されたのは地元の人だけ。 これを「ひっど〜い」と思わないでくださいね。 実は、災害ボランティアが忘れてはいけない事に「被災者の自立を促し、そのための手助けをする」というのがあるのです。 どんなに大規模な災害であろうと、最後まで復興を行えるのは、実は被災者自身しかいないのです。そのために、1日も早く自立し、被災者同士の助け合いで復興を遂げられる様、援助するのが、災害ボランティアのもう1つの面なのです。 だからといって、最後まで手助けしちゃいけない、訳ではなく、電話が復旧すれば、離れていても知り合った被災者を励ますことが出来ますし、道路や鉄道などのインフラが機能をはじめれば、必要な物資を送ってあげることもできるし、時々会いに行くこともできます。 この話は、災害ボランティア関係者の間でも比較的最近になって言われるようになった気がします。 中越地震の頃はそうでもなかったような気がしますが、昨年の中越沖地震では、被災者の自立に関して、より明確化したのを実感しました。 災害ボランティアというのは、被災者が1日も早く安定した生活をおくれるようにするために援助をする事と、被災者が1日も早く自立して復興するための援助をする事、という2面性を持っています。 実際に活動を行う上では、この2つの面のさじ加減がなかなか難しく、個々のボランティアでは判断しにくい訳です。 その判断をし、社会福祉協議会(以後「社協」とします)の職員などと一緒に方向性を考え、示すのが災害ボランティアコーディネーターであると、バーニーは考えています。これがボランティアと社協との橋渡しであると思っています。 実は、バーニー自身、ここまでの経験はないため、今回は、講習等で聞いた事の受け売りになってしまいました。 おしまい。 |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
自分の思いを人に伝えたいとき、皆さんならどうしますか。
人は、行動することで、自分の思いを具現化する、バーニーはそう思ってます。 どこかで災害が発生し、人々が被災したとき、「力になってあげたい」という思いの具現化の1つが、災害ボランティアへの参加であると思います。 尤も、被災地から遠く離れている、仕事や家の事で現地まで行けない人たちもたくさんいるでしょう。 能登半島地震の時は、バーニーもそうでした。 そんな人は、募金への協力や、ブログへの書き込みなどで、自分の思いを具現化することができるでしょう。 バーニーの根っこにあるのは「災害で、年齢・性別・人種等関係なく、大勢の人々の命が奪われ、生活が崩壊することの不条理が許せない」のです。 これを「不条理」と言って良いかどうかはわかりませんが、少なくともバーニーは不条理だと思っています。 そんな中でも生活するためには、お互いの人々の相互協力以外にありません。 それが、「何でもいいから協力したい」という思いへと変わり、具体的な行動へと姿を変える、そんな風にして災害ボランティアへの参加が始まるのではないでしょうか。 実際、災害ボランティアに参加する人たちの多くは、専門的な知識も経験もない、地元の人達なのです。自分たちの住む地域が被災し、大勢の人々が困窮している中、「自分も復興のために何かできるのではないか」といって参加する、そんな人達がたくさんいます。 災害ボランティアになるのに、特別な資格も経験も必要ありません。とはいえ、最近は、看護士や保母などの有資格者は、専門知識を活かしたボランティア活動を行うケースも増えているようです。 しかし、これらの活動は全体の中では決して数多くあるものではありません。 被災者の多くの方は、何らかの形で心に傷を負うケースが多く、特に高齢者は寂しさと恐ろしさでストレスが溜まっていく事が多いものです。そんな人達の話し相手になってあげる、小さい子供の遊び相手になってあげる、なんてボランティアの需要も数多くあるのです。 屋内の片付けや泥の掻き出しなど、力仕事的イメージの強い災害ボランティアですが、決してそれだけではありません。もし、興味のある方は、講習などで雰囲気をつかんでみてはいかがでしょう。 注:バーニーは決して災害を肯定しているわけではありません。本来、災害ボランティアなるものが不要な社会であればどんなに良いでしょう。しかし、万が一不幸にして災害に巻き込まれても、悲しみに暮れる人が1人でも少なくなるように、明るい笑顔が戻るようにと、心から願っています。 |
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Category【 そもそもの話 】
災害ボランティアコーディネーターって、聞いたことのある方も多いと思いますが、どんなことをする人たちなのか?案外知られていないのではないでしょうか。
そこで、日本ボランティアコーディネーター協会のHPをご紹介。 引用は気が引けたので、URLを紹介します。 http://www.jvca2001.org/info/index.html に、ボランティアコーディネーターについて、詳しく書かれています。 興味のある方はぜひどうぞ。 バーニーのボランティアコーディネーター感はというと、災害時などに、社会福祉協議会の職員を助けながら、各地からやってくるボランティアとの橋渡しをする役割、そんな風にとらえています。 もうちょっと突っ込むと、ボランティアセンターのスタッフの1員として、あるいは現場の纏め役として活動する人たちだと考えています。 この認定は、間違っても国家資格などといった、厳しいものではなく、自治体(社会福祉協議会や市町村など)、あるいはNPO法人などの団体が開催する講習を受けることで認定が与えられるのが現状のようです。 バーニーも、地元のNPO法人主催の講習会を受講し、認定を受けました。 ちなみに、講習会を知ったのは、HPでの募集でした。案外HPで講習会のお知らせや募集などをしている場合があります。 興味のある方は一度検索されることをおすすめします。 認定後も、定期的に各地で交流会や講習会など開催されていますし、サークル的に登録できる団体などもたくさんあります。 このような団体に登録することで、互いの情報交換やまとまって被災地へ行くなどできますので、1人で活動するよりも安心できますよ。 (単身現地入りだと、結構コストがかかるんだな、これが。) 漠然とした話になりましたが、1つだけ言える事は「災害ボランティアコーディネーターだから、偉いんじゃない」という事。決して災害時のスペシャリストでも、ボランティアセンターの中心でもなく、あくまでスタッフの一員として、他のボランティアや被災者の手助けになる人たちなのですから。 |
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Category【 新潟県中越沖地震 】
最近は、災害に対する様々な対応が迅速になり、被災から1ヶ月もすると、一見被災地とは思えないほどの状態になることは、前回にお話したとおりですが、実は、中越沖地震よりも、怖さを感じたことがありました。
北陸自動車道を柏崎市へ向け車を走らせていると、柏崎市に近づくにつれて、道路が波打っているのがわかりました。それも、近づくにつれ、波が大きく、所々損壊した部分もあります。そんな時「ここで地震に遭遇したら、自分はどうなるんだろう」という思いがよぎりました。 そんなことを考えながら運転していると、目の前にトンネルが。 中に入ったとたん、心の底から震えるような恐怖が。 「このトンネルの中で地震に遭遇したら・・・。」 案外、人事と考えていたのは、実は自分だったのではないか。 今になって思い出すと、あのとき、初めて我が事として考えられたのだと思います。 でも、きっと、被災された皆さんは、この何倍もの恐怖の中を生き抜いてきたのだと思います。 それができたのは、お互いに助け合ったからこそであると思います。 アルベール・カミュは、著書「シーシュポスの神話」の中で、生きることの不条理を述べていますが、それでもなお人は、互いに助け合いながらが生きようとするものだ、と説いています。 この教訓を忘れずに、毎日を過ごしたいと願うバーニーです。 |
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Category【 新潟県中越沖地震 】
バーニーの2度目の実戦経験、中越沖地震のお話です。
新潟県中越沖地震は、2007年(平成19年)7月16日10時13分に発生した新潟県上中越沖を震源とするMは6.8(中越地震と同規模)の地震です。休日の午前中に発生したこともあり、瞬く間に被害状況が明らかになっていきました。 死者15名、負傷者2,300名以上を出し、また、全壊の建物1,319棟を含む5,000棟以上の建物が被害を受けました。 震源の近くには柏崎刈羽原子力発電所があり、対応の遅れなど非難の対象となったことは、皆さんも記憶に新しいことと思います。 バーニーが現地入りしたのは、地震から約1ヶ月ほど経ったお盆の時期。被災直後に比べると復旧も進み、一見すると被災地とはわからないくらいでしたが、よく見るとあちらこちらに倒壊家屋があり、避難所暮らしを続けている方も多く見られました。 ちょうどバーニーが着いた翌日から、仮設住宅への入居が開始されるという時でした。聞けば、中越地震の教訓を活かした改良が施されているとの事。経験を積むごとに改善されていくんだなぁ、と妙な感心をしてしまいました。 今回の宿泊は、夏の真っ盛りで、さすがに車中宿泊とはいかず、ビジネスホテルを利用してしまいました。最近は復旧もはやいなぁ、などと、ここでも妙な感心。 翌日はボランティアセンターで登録を済ませ、仮設住宅入居者の誘導を仰せつかったバーニー。張り切って現場へ向かいました。 仕事をはじめて2時間ほど経ったとき、突然の目まいが。そういえば、前にもあったような・・・と思っていると、めまいが益々ひどくなり、とうとう立っていられないほどに。 泣く泣くボランティアセンターへ戻り、看護士さんのお世話になることになりました、トホホ。 どうやら、熱射病にかかったらしく、しばらく横になって、体をクーリング。そういえば、バーニーはめっぽう暑さに弱かったんだっけ、と、今更ながら思い出し、恥ずかしいやら情けないやら、散々でした。 バーニー、遂にミイラになりました(泣)。 結局、体調を考慮し、翌日には帰宅の途につきました。 このとき、介抱してくださった看護士さんの言葉です。 「私も、親戚が今度の地震で被災したんだけど、心配して駆けつけたときに、その気持ちだけで有難い、といわれたの。遠くから来てくれた、その気持ちだけで十分感謝しています。」 たとえ励ましの言葉だったとしても、胸にジーンときました。 それだけで、こちらが癒されたような気になりました。 看護士さん、センターのみなさん、ありがとうございました。 |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
バーニーがなんで、災害ボランティアコーディネーターの認定を受けたか、というと、おせっかい焼きで野次馬根性があって・・・というのもあるんですが、きっかけは、あの阪神大震災だったんです。
当時、家族の友人が神戸に住んでおり、震災から暫く連絡が取れない状態が続いていました。 当然家族は心配の毎日でした。そんな時、ボランティアを兼ねて神戸入りしてくれたのが、大阪に住むバーニーの親戚でした。 おかげで、家族の友人とも連絡が取れ、無事であることが判明しました。 そんな折、その親戚から「神戸を見にこないか」とのお誘いがあり、我ながら「不謹慎」と思いつつも、 神戸へと足を運びました。 バーニーの都合もあり、わずか30分ほどの神戸滞在でしたが、道路はめちゃくちゃ、建物はめちゃくちゃ。猛烈なショックと、興味本位で行ってしまった事に大変な罪悪感を感じました。 同時に「自分には、何もできないのか、何か役にたてないのか」という思いがこみあげ、その思いは バーニーの中でずーっとくすぶっていました。 それから月日が経って、平成16年10月23日、新潟県で中越地震が起きました。 バーニーの住む地域にも、揺れが伝わってきました。翌日には、被害の酷さがマスコを通じて聞こえてきます。 もう、いてもたってもいられませんでした。 何の知識も経験もないまま、新潟県の社会福祉協議会へ連絡をとり、災害ボランティアとして現地入りしたい旨を伝えると「十日町市がボランティアセンターを立ち上げています。」との説明。 すぐに十日町市へ行き(といっても、車で半日くらいはかかりましたが)、ボランティアセンターを見つけると「ボランティアをやらせてください!」。 これがバーニーの裏の顔のはじまりでした。 これからの体験談は、また後日に。 −被災された方々に、バーニーは決して冗談などで書いているわけではありませんが、万が一、不快な思いなどをされましたら、心よりお詫び申し上げます。− |
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Category【 新潟県中越地震 】
前回の続です。
車内宿泊をはじめて4日ほど経ったある夜の事。 明け方に、突然の右足膝部の激痛で目があきました。 直感的に「ヤバイッ」と思い、右足が上になるように、体を横にして再び睡眠開始。 それからきっかり1時間後、今度は左側の膝に激痛が。 その時になって、「もしかして、これがエコノミークラス症候群ってやつですか?」と思い至り、 車内を慌てて物色。ちょうど使っていない毛布があったので、これを足の下に引いてなるべく足がまっすぐになるように工夫。その後、車外で少々運動し、やっと朝まで眠ることができました。 ここで地元の方に迷惑をかけたら「ミイラ取りがミイラになっちゃった」状態に。 これほど情けない事はないと、翌日からは、精一杯体を伸ばせるように工夫して寝たのは言うまでもありません。やっぱり、自分の健康管理は自分でやらなきゃ、ね。 (後日、バーニーはこのことをすっかり忘れ、えらい目に遭ったのだ・・・その事は改めて。) ともあれ、バーニーは災害直後から1週間ほど十日町市に滞在し、災害ボランティアを経験したのでした。 この経験の2年後、バーニーは晴れて、災害ボランティアコーディネーターの認定を受けたのでした。 −最後に− 十日町市の社会福祉協議会のみなさん、十日町市のみなさん、お世話になりました。 まだまだ、当時の傷跡を残していらっしゃる方も見えると思います。 1日も早くお元気になられますよう、心よりお祈り申し上げます。 |
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Category【 新潟県中越地震 】
さて、ここからは、バーニーの体験談。
新潟県社会福祉協議会の紹介で向かった十日町市ボランティアセンターへ着いてみると、中には4名ほどのスタッフと、長テーブルが数本だけ。 唖然としながら聞いてみると「今日立ち上げたばかりだから、とりあえず登録だけして、明日また来てください。」との事。 バーニーが現地入りしたのが地震の翌々日だから、センターも整ってなかったのだ。 で、近くの高校のグラウンドへ車を入れ、被災者の邪魔にならないよう、隅っこのほうへ駐車して、 車内で宿泊。 ![]() 当日は雨。地面がどろどろの中、車を止めて、車中泊でした。 中には、軽トラックの荷台を簡易台所にして夕食を作る被災者も。 翌朝、再びセンターへ。登録は昨日のうちに済ませてあるので、朝からちょい仕事を少々。 で、午後になって、「総務やってください」とのスタッフからのお達し。 「え、総務・・・。」実はバーニーは総務マン。会社でも総務部に所属していたのだ。 まさか、被災地の、それも、ボランティアセンターで総務とは・・・。 因縁めいたものを感じた瞬間でした。 ![]() 十日町市ボランティアセンターです とはいえ、総務は慣れたもの。必要な情報を収集しては、周知の貼り紙をつくるわ、業務に必要な書類を作るわ、スタッフの名刺や名札を印刷するわ、ネットワークを構築するわ、普段と何ら変わることのない作業にもかかわらず、思わず「オイラのようなボランティア素人にもできることってあるんだわ!!」と嬉しくなったのであります。 余談ですが、当時バーニーが作成した書類の様式は、その後多くの方の手により改良され、当時よりはるかに良いものへと変身を遂げ、さまざまな被災地で活躍しているようです。 災害ボランティアセンターの中心となっているのは、地元の社会福祉協議会の方。毎晩10時過ぎまで残った仕事の片づけやら、翌日の用意やらに追われていました。 そんな中、スタッフの1人が「どうせ家に帰っても、壁は亀裂が入っていて怖いし、家具も倒れていて、とても生活できる状態じゃないんだよねぇ。」という話をしてくれたのです。 その人は、普段とても明るく振舞っていて、とても、そんな思いを抱いているようには見えなかったのですが、その時に初めて、被災した人たちの本当の姿を見たような気がしました。 被災者であるスタッフが、それでも懸命に頑張っている姿に返す言葉がありませんでした。その背中が「1日も早く復興するんだ!」と物語っていました。 (続く) |
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Category【 新潟県中越地震 】
新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日(土)午後5時56分に新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震です。
1回目の地震の後も数日にわたって余震が続き、10月23日には震度4以上の余震が20回観測されたそうです。 バーニーも現地で数回、大きな余震に見舞われ、柱の亀裂が目に飛び込んできたときの、何ともいえない怖さを思い出します。 建物崩壊やショック死、エコノミークラス症候群などで、最終的には67人の方が亡くなられ、4,800人以上の方々が怪我を負われました。 亡くなられた方の中には、土砂崩れに巻き込まれた、あのご家族も含まれています。 全壊の建物428棟を含め、合計1万831棟が損壊しました。 避難者は一時10万人を超え、被災後1週間後も7万6600人もの方が避難生活を余儀なくされました。 その後、仮設住宅が建設され、続々と被災者が入居しましたが、最後の方は、昨年末まで仮設住宅で生活していたなど、みなさんも記憶に新しいと思います。 この地震では、上越新幹線で新幹線史上初の脱線を経験し、また、関越自動車道や北陸自動車道も各地で寸断・通行止めとなり、物資搬入を困難なものにしました。 集落では、古志郡山古志村(現 長岡市)、小千谷市など、各地で孤立し、自衛隊などによる必死の救出作業が行われました。 電気、ガス、水道などのライフラインも広範囲で使用できなくなり、復旧は難航し、被災者は不自由な生活を強いられるなど、昨年の中越沖地震とほぼ同等の、大災害であったのです。 そんな状況の中、バーニーは現地へ向かったのです(続く)。 −参考資料:新潟日報社 特別報道写真集「新潟県中越地震」− |
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Category【 災害ボランティア ことはじめ 】
みなさん、はじめまして。
わたくしバーニーは、災害ボランティアコーディネーターなる認定を持っています。 といっても、これを生業としているわけではなく、普段はサラリーマンをやっています。いわば、バーニーの「裏の顔」でしょうか。 災害ボランティアコーディネーターといっても、ご存知でない方もたくさんいらっしゃると思います。 また、災害大国 日本 に住みながらも、災害への備えのない方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。 バーニーは豊富な知識も経験もありません。でも、このブログを通じて、1人でも多くの方に、関心を持っていただけたら・・・そんな思いでブログをはじめました。 少しづつではありますが、バーニーの経験談や皆さんとの対話など、綴っていきたいと思います。 ときどき、趣味の話が入るかもしれませんが、ひいきめに見てやってください。 どうか、ごひいきに。 |
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