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災害ボランティアコーディネーターの活動を中心に、日々の情景を切り取ってお知らせします。
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2008
06/08
Sun
23:33:43
Category【 新潟県中越地震 】
NHKの『SAVE THE FUTURE エコうた』という番組を見ていて、久しぶりに平原綾香さんの「JUPITER」を聴きました。

この「JUPITER」、原曲はホルストの組曲『惑星』なのは有名ですが、中越地震の時に、この曲を聴くと励まされる、ということで、ラジオ局へたくさんのリクエストが寄せられ、ついには復興支援ソングになったという曲です。

バーニーがこの事を知ったのは、中越地震から戻ってきてしばらく経ってからでしたが、普段何気なく聴いている曲が、人々を励まし、元気付けたなんて、こんなすばらしい事ってあるんだなぁ、と感動すると共に、バーニーもいつしか、この曲を聴くたびに当時を思い出すようになっていました。

当時のバーニーは所詮外様。現地の被災者の真の苦労までは理解できていなかったと思いますし、今でも本当の意味で理解はできていないと思います。
でも、被災者である人たち自らが歯を食いしばり、震災前と変わらない町に戻そうと必死になって頑張っていた姿、これはずーっと忘れられません。家に帰ると壁中ひびだらけで怖くて帰れないから、ボラセン(ボランティアセンターのこと)で仕事するの、と夜11時過ぎに言っていた女の子もいました。
彼らの後姿に、「負けるものか」という信念のようなものが見え隠れしていたような気がします。
彼らも、きっと、この曲を聴いて励まされていたに違いないと思うのです。

そんな事を思い出しながら聴いていたら、不覚にも涙が。
自分にとってもはじめての災害支援、そこで見た様々なもの、出会ったたくさんの人たち、その姿が思い出され、思わず泣けてきたのだと思います。

今こうして執筆している最中も、ふと気を抜くと涙がこぼれそうになります。それほど強烈な思い出だったのでしょうか?バーニーにはわかりません。
ただ、地元を愛し、そこを自分たちの手で復興させようという強烈な姿は忘れる事ができません。
唯々一生懸命に見えたことだけが、強烈に思い出されます。

そんな人たちの心を癒し、励ました平原綾香さんの「JUPITER」。バーニーの大好きな曲の1つです。
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2008
04/13
Sun
20:40:19
Category【 新潟県中越地震 】
前回の続です。

車内宿泊をはじめて4日ほど経ったある夜の事。
明け方に、突然の右足膝部の激痛で目があきました。
直感的に「ヤバイッ」と思い、右足が上になるように、体を横にして再び睡眠開始。
それからきっかり1時間後、今度は左側の膝に激痛が。
その時になって、「もしかして、これがエコノミークラス症候群ってやつですか?」と思い至り、
車内を慌てて物色。ちょうど使っていない毛布があったので、これを足の下に引いてなるべく足がまっすぐになるように工夫。その後、車外で少々運動し、やっと朝まで眠ることができました。
ここで地元の方に迷惑をかけたら「ミイラ取りがミイラになっちゃった」状態に。
これほど情けない事はないと、翌日からは、精一杯体を伸ばせるように工夫して寝たのは言うまでもありません。やっぱり、自分の健康管理は自分でやらなきゃ、ね。
(後日、バーニーはこのことをすっかり忘れ、えらい目に遭ったのだ・・・その事は改めて。)

ともあれ、バーニーは災害直後から1週間ほど十日町市に滞在し、災害ボランティアを経験したのでした。


この経験の2年後、バーニーは晴れて、災害ボランティアコーディネーターの認定を受けたのでした。

-最後に-
十日町市の社会福祉協議会のみなさん、十日町市のみなさん、お世話になりました。
まだまだ、当時の傷跡を残していらっしゃる方も見えると思います。
1日も早くお元気になられますよう、心よりお祈り申し上げます。


2008
04/11
Fri
20:37:05
Category【 新潟県中越地震 】
さて、ここからは、バーニーの体験談。

新潟県社会福祉協議会の紹介で向かった十日町市ボランティアセンターへ着いてみると、中には4名ほどのスタッフと、長テーブルが数本だけ。
唖然としながら聞いてみると「今日立ち上げたばかりだから、とりあえず登録だけして、明日また来てください。」との事。
バーニーが現地入りしたのが地震の翌々日だから、センターも整ってなかったのだ。
で、近くの高校のグラウンドへ車を入れ、被災者の邪魔にならないよう、隅っこのほうへ駐車して、
車内で宿泊。

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 当日は雨。地面がどろどろの中、車を止めて、車中泊でした。
 中には、軽トラックの荷台を簡易台所にして夕食を作る被災者も。


翌朝、再びセンターへ。登録は昨日のうちに済ませてあるので、朝からちょい仕事を少々。
で、午後になって、「総務やってください」とのスタッフからのお達し。
「え、総務・・・。」実はバーニーは総務マン。会社でも総務部に所属していたのだ。
まさか、被災地の、それも、ボランティアセンターで総務とは・・・。
因縁めいたものを感じた瞬間でした。

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  十日町市ボランティアセンターです

とはいえ、総務は慣れたもの。必要な情報を収集しては、周知の貼り紙をつくるわ、業務に必要な書類を作るわ、スタッフの名刺や名札を印刷するわ、ネットワークを構築するわ、普段と何ら変わることのない作業にもかかわらず、思わず「オイラのようなボランティア素人にもできることってあるんだわ!!」と嬉しくなったのであります。
余談ですが、当時バーニーが作成した書類の様式は、その後多くの方の手により改良され、当時よりはるかに良いものへと変身を遂げ、さまざまな被災地で活躍しているようです。

災害ボランティアセンターの中心となっているのは、地元の社会福祉協議会の方。毎晩10時過ぎまで残った仕事の片づけやら、翌日の用意やらに追われていました。
そんな中、スタッフの1人が「どうせ家に帰っても、壁は亀裂が入っていて怖いし、家具も倒れていて、とても生活できる状態じゃないんだよねぇ。」という話をしてくれたのです。
その人は、普段とても明るく振舞っていて、とても、そんな思いを抱いているようには見えなかったのですが、その時に初めて、被災した人たちの本当の姿を見たような気がしました。
被災者であるスタッフが、それでも懸命に頑張っている姿に返す言葉がありませんでした。その背中が「1日も早く復興するんだ!」と物語っていました。





(続く)
2008
04/10
Thu
20:35:30
Category【 新潟県中越地震 】
新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日(土)午後5時56分に新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震です。
1回目の地震の後も数日にわたって余震が続き、10月23日には震度4以上の余震が20回観測されたそうです。
バーニーも現地で数回、大きな余震に見舞われ、柱の亀裂が目に飛び込んできたときの、何ともいえない怖さを思い出します。

建物崩壊やショック死、エコノミークラス症候群などで、最終的には67人の方が亡くなられ、4,800人以上の方々が怪我を負われました。
亡くなられた方の中には、土砂崩れに巻き込まれた、あのご家族も含まれています。

全壊の建物428棟を含め、合計1万831棟が損壊しました。
避難者は一時10万人を超え、被災後1週間後も7万6600人もの方が避難生活を余儀なくされました。
その後、仮設住宅が建設され、続々と被災者が入居しましたが、最後の方は、昨年末まで仮設住宅で生活していたなど、みなさんも記憶に新しいと思います。

この地震では、上越新幹線で新幹線史上初の脱線を経験し、また、関越自動車道北陸自動車道も各地で寸断・通行止めとなり、物資搬入を困難なものにしました。

集落では、古志郡山古志村(現 長岡市)、小千谷市など、各地で孤立し、自衛隊などによる必死の救出作業が行われました。
電気、ガス、水道などのライフラインも広範囲で使用できなくなり、復旧は難航し、被災者は不自由な生活を強いられるなど、昨年の中越沖地震とほぼ同等の、大災害であったのです。


そんな状況の中、バーニーは現地へ向かったのです(続く)。



-参考資料:新潟日報社 特別報道写真集「新潟県中越地震」-
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